皆さん、こんにちは。運営委員です。

いつも自己発見の会にご理解ご支援ありがとうございます。
内観座談会の延長のような感じで日常の徒然を運営委員がリレーで綴る新シリーズです。

先日ドキュメンタリー映画『四万十~いのちの仕舞い~』を映画館で見てきました。
四万十川の流域で看取りに力を入れて診療しておられる小笠原先生の日常を追った映画です。

四万十~いのちの仕舞いhttps://www.inochi-shimanto.com/

お年寄りが病気になったり老衰でだんだん衰えて動けなくなり、家庭や地域で人生の卒業を迎えるまでの様子を見せていただけます。亡くなるご本人の様子、家族の様子、医療者の様子がよくわかります。

お金がかかった華々しい映画ではないのですが、しみじみと心のに響いてくる映画なので機会を作ってごらんになってみてくださいね。

吉本伊信先生の内観面接のテープを拝聴していると
「今死んだらどうなりますか?」とか
「一分一秒を大切にして」とか
いのちの仕舞を意識させようという配慮が見られます。

吉本伊信先生の面接

いつ死ぬかよくわからない無常を意識して、今の一瞬一瞬を大切に生きてほしいという願いが込められています。そして、人は何のために生きるのか?という人生の目標のようなものを伝えようとしておられるのが伝わってきます。

目標がないとダメとか、あるといいとか決めつけるわけではないですが、宗教家であり経営者であった吉本伊信先生は目標をもつことによって自分のいのち炎をいかに大切に燃やせるかをひしひしと感じておられたのでしょう。

さて、「いのちの仕舞い」に話を戻します。

最近は、よほど田舎でもない限り、隣近所の付き合いも希薄になってきました。いよいよ終末を迎えた方にお見舞いにゆく習慣はなくなりつつありますし、むしろ家族の時間をお邪魔してしまうという遠慮の方が先立ちます。

お亡くなりになった後も、家族葬という家族中心の見送りが主流となり、お世話になった方や親しい方を見送らせてもらうことが難しくなりました。

死を迎えるプロセスの一部に立ち会う機会が極端に減ったともいえるでしょう。赤ちゃんが生まれたときにもお祝いにゆくのは遠慮がちになっていますね。「いのちを大切に」という言葉がよく言われますが、いのちの始まりも終わりも意識しにくい世の中になっているように感じます。

大切なおじいちゃんやおばあちゃん、両親やかわいがっていたペットなどとの別れを大切な機会として子や孫と「いのちの仕舞い」について考えさせてもらいたいです。

一分一秒を惜しんで目標に向かっていのちを燃やせたらいいですが、そうでなくても、自分のいのち、他人のいのち、まわりの生き物のいのちを大切に思い感謝する気持ちを育んでゆきたいですね。

最後まで読んでくださってありがとうございました。
次もお楽しみに。